【時代考証#2】光源氏②「日本のハーレム、世界のハーレム」

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どうも、サークルでは主にレーザー水爆を開発する係のちゃいなです。
 
 
本題に入る前にちょっと紹介を。
 
このブログで以前も紹介した萌源さんのところに源氏物語を漫画化したものがあります。
 
(本家サイト様)http://moegen.blog.shinobi.jp/
(桐壷編)http://moegen.blog.shinobi.jp/Entry/7/
 
 
これがひっっっっっっっじょうにわかりやすいです。
 
それにキャラもとてもかわいいです。
 
現在桐壺から帚木まで出来ているようですので、ぜひどうぞ。
 
たぶん、あさきゆめみしよりわかりやすく源氏物語の世界観が理解ると思います。
 
本当に素晴らしい......。
 


 
さて、源氏物語の用語解説、前回の続きです。
 
ちょっと後宮の説明がわかりづらいので、今回はもう少し説明しようと思います。
 
せっかくなので世界のほかのハーレムとの違いも見つつ話をしていきたいと思います。
 
とりあえずお茶をどうぞ。 つ旦
 
 
 
日本と他の国の後宮との大きな違いは「男子禁制」に尽きると思います。
 
他国では厳密な男子禁制です。それは後宮の機能を考えればある種当然のこととも言えます。
 
日本が特に異常なのです。
 
まず、世界的に見て、後宮とは何をするための場所なのでしょう?
 
後宮とは、突き詰めていえば子供をつくるための場所です。
 
当然ですが、恋愛の出来る場所ではありません
 
性欲を解消する場でも、なかったのです。
 
なぜなら、後宮でできた子供は即後継者候補、産んだ女性は母后候補です。
 
つまり、万に一つも「間違えて子どもができてしまって」はいけないのです
 
ですから後宮に入る女性は基本処女です。
 
もし帝王以外が父親では、国が乱れるもととも成りかねないからですね。
 
スルタンのハレムなんかはそこら辺が厳格で、相手が処女なのはもちろんのこと、基本一人とは一度しか交わらなかったようですね。
 
そして何人ともして、たまたま子供ができた女性が母后になるチャンスを得たわけです。 
女性は常に300人くらいいました。
 
できなかった女性は、すぐにまた女奴隷の部屋に戻されたといいます。
 
ちなみに女性しかいないハレムで、女性たちが性欲の解消はどうしていたかと言うと、主に同性愛だったようです。
 
男は、これも当然ながら、去勢された黒人の宦官奴隷しかいませんでしたから。
 
この黒人奴隷との交わりは死刑でしたから、命がけで愛を交わすハレムの女は少なかったようです。
 
一方同性愛は禁止されていなかったので、むしろいくらかは奨励もされていたので、結構盛んだったとか。
 
 
ここら辺の話は歴史マニアには調べてみると面白いです、
塩野七生さんの「イタリア遺聞」なんかに簡単に載っているので暇なときに探してみるといいかもしれません。
 
話がそれましたね。
 
ついでに中国。
 
中国でも後宮は有名ですね。特に高校の世界史なんかでは、中国の王朝が滅亡する原因の一つに必ずと言っていいほど上がります。
 
うんざりするほど外戚の専横と宦官の腐敗がでてきます。いっそこれ程問題なら、廃止すればいいじゃないかと思うほどです。
 
まあ、それはともかく。
 
中国でも男子禁制で女性だらけ、権力を握るために熾烈な闘争が日夜行われている。というのは変わりません。
 
ヨーロッパ世界ではハレムは無いわけではないですが、あまり表立って、盛んには行われなかったようです。
 
それはキリスト教が重婚、姦淫を禁止していたこと、またそれほど血統に固執する世界ではなかったことなどもあるでしょう。
 
というか、血統なんて言い出したらヨーロッパのほとんどの王家は複雑な政略結婚の結果でなんかしらの血縁的つながりがあるので、非常にややこしく成ります。
 
じっさいそれで何度も戦争していますしね。
 
世界のハレムの感じ、なんとなくつかめたでしょうか?
 
これを踏まえると、日本の後宮がいかに異常か、もっと言えば、いかに女性が自由で洗練された文化を持っていたかわかると思います。
 
まず男子禁制でない。これはとても重要なことです。ありえないことです。
 
そして女性の気持ちもある程度尊重し、きちんとした人権があります。
 
これは女性に優しいというよりも、日本の摂関政治という複雑な政治制度によるものでしょう。女性の父親が偉いから、天皇の方が女性に頭があがらないんです。
 
もちろん浮気を沢山するとその父親に睨まれますから、たくさんの女性を一度に囲い込む......ということもできないわけです。
 
ここらへんは専制君主制には無いおもしろいところですね。
 
まあ、長々と話しましたが、要は日本の後宮には独特の、とても特徴的な作法があったということを覚えていておいてもらえれば結構です。
 
これが、桐壺の更衣の受難、そして源氏の複雑な出生に繋がっていきます。
 
では続きはまたの機会に。

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このページは、ちゃいなが2010年2月 3日 11:25に書いたブログ記事です。

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